ヒマラヤ・コンデ・トレッキング(09.10.25〜11.8)
「4200m 天空の回廊を行く」

斎藤光子

私にとって3年がかり3度目のチャンスでやっと実現できたヒマラヤトレッキングです。 出発は10ヵ月後という計画の時点から心の準備が始まりました。経験豊富な大塚さんがリーダーなので精神的にも心強いのですが、初めてのヒマラヤです。高度障害は大丈夫か、食事は、水は? 不安とプレシャーがのしかかって来る。持ち前の呑気さで「まァ〜、なんとかなるか」で月日が過ぎていく。
 10月中旬、今回一緒に行く友人も兵庫から上京してミウラドルフィンでの体力測定、低酸素順応訓練、3800m地点での一泊体験と3日間の訓練をしてトレッキングに備えた。ちなみに私の測定結果は「健康な??歳女性と比べて標準範囲内」の評価に一安心。
 メンバーは、日本山岳会(JAC)から大塚さんを含む6名、シリウスから私1名、友人1名。男性4名、女性4名の8名パーティとなる。そして「「JAC & SIRIUS ヒマラヤ・コンデ・トレッキング」〜世界最高所ホテルからヒマラヤの屋根を展望する旅〜」が始まりました。
成田〜カトマンズ(香港経由でカトマンズ)
 注意力散漫の私は、乗り継ぎの香港で飛行機を降り数分後、機内にカメラを置き忘れたことに気づきスタッフに問い合わせをしましたが見つからず、早くも失態となりました。 ヒマラヤでいい写真を・・・と気合を入れていただけに残念!!「厄落とし」と思うことにするワ!と悔し紛れの諦めモード。カメラが無くてこれから始まるトレッキングの想い出はどうする? 上等の一眼レフカメラと普通のデジカメの2台持参の友人が、普通のデジカメを(当たり前です)快く貸してくださり一件落着。
カトマンズ〜ルクラ〜パクディン
 カトマンズで一日滞在し3日目の早朝、国内線でルクラへ飛び立つはずが、カトマンズ霧のため一度乗り込んだ飛行機を下ろされ、2時間後に改めた機内へ。飛び立つと間もなく左前方に広がる真っ白な峰々。ワ〜オ〜ヒマラヤだ〜。これから11日間あの景色の中へ入って行く期待と興奮で胸が一杯になります。
 30分ほどで2840mのルクラの小さな飛行場に降り立つ。お客を待つガイドさんとポーターさん達で賑わっている。ホテルで朝食と休憩、ミルクティーがおいしくお代わりをいただく。休憩後ガイドさん3名、ポーターさん2名とトレッキングの始まりです。まずはパクディンに向かいます。 大きな荷物を両脇と背中にくくりつけノッシノッシと歩くゾッキョの列、自分の頭よりはるか上まで荷を積み上げた籠を担ぐポーターさんたちの列、トレッカーの人たち。
ここはまだすべてのルートの始まりで行き交う人達で賑わってます。
 歩きやすく綺麗に整備された道。とはいえ青い空と展望ばかり楽しんではいられない。下を見て歩かないとゾッキョ様の落し物にはまってしまうことに。それにしても数が多い。
両脇の石垣の中はチンゲン菜、白菜などの畑になっている。豆なども天日に干してある。
途中ランチタイムをいれ4時間ほどでパクディン着。ホテルには温水のシャワー、水洗トイレが各部屋に備わっている。これから行くすべてのホテルもこの二点セットはあったもののバスタブは無く、なかなか温水にならず寒くてシャワーは使いませんでした。

ルクラ空港、後方はヌプラ峰

パクディン〜ナムチェバザール
 オートミールとミルクティー、コーヒーのみの朝食だが全然食欲が無く、ミルクティーとオートミールを3口ほど食べる。昨夜食べた物が消化出来てない感じ。それでも元気にナムチェに向かう。今日も素晴らしい青空。ゆっくりした登りが続きます。それにしても人が多いです。ヨーロッパ系の人達が多くどんどん追い越されます。
 モンジョ村に入りチーフガイドのナワンさん宅にて昼食タイム。お宅はロッジの建設中で半分ほど出来上がっていました。昼食ができるまでナワンさんの2歳になる息子さんのお相手を。かわいい坊やで小さな手を合わせて「ナマステ」と挨拶をする。昼食はお母さん、奥さん手作りのネパール餃子の{モモ}。
 私は30分前当たりから寒気と腹痛で食欲ゼロ。ダウンジャケットを着てもまだゾクゾクする。とうとうカトマンズで買った下痢止めのお世話になるはめに。どうも昨夜ロッジで食べたリンゴのデザートが原因のようだ。むいた果物、生野菜は食べないようにと注意があったはずなのに、うっかりしてしまった。
 長い吊橋を何度か渡り、一度下って600mのジグザグの登り返しもなんとかクリアー。展望台から初めてエベレストとご対面。吐き気とトイレの心配をしつつも何事もなく無事ナムチェのゲートをくぐる。一安心で元気が出てくる。土産物店がひしめき合って並ぶ階段を上りロッジへ到着。高台にあるロッジの窓からは広場のバザールがよく見えます。高度順応のためナムチェに連泊になります。
 翌朝食欲はないものの、元気が復活。丘の上の軍隊駐屯地の展望台まで足慣らしに行く。 青空の中雄大に連なるエベレスト、ローツエ、アマダブラム、タムセルク等々。撮影タイムにきりがない。ここに来てようやく待ちに待ったアマダブラムとご対面。写真で何度も眺めていたためか初めてなのに懐かしさがこみ上げてくる。これから向かうコンデ・リも迫力満点。
ナムチェ〜ターメ
 毎日快晴。本当に空がきれいです。この青さは特別な青で初めて見る空の色です。  エベレスト街道と分かれてチベットにつながるルートを行きますが、ナムチェのバザールにチベットから1週間かかって来るヤクの行列に道をゆずり、川寄りの道を行く。静かで我々のみとなる。やはりガイドさんがいての判断です。
 沢からの急登をひと登りで静かなかわいらしいターメの村に。ターメ一番のホテルといわれるだけあり、高い天井から陽の降り注ぐサンルームでウエルカムティをいただく。各部屋にはストーブと電気毛布が備わっていてすでに布団はほかほか。ここが3830m地点とは本当に驚きです。
ターメ〜コンデ
 いよいよ4200mに向け出発します。今日は沢まで下り対岸に渡りコンデの登りがはじまります。やっと山らしい道を登ることになります。行き交う人もまったくいなくなり、中間地点では山を下り、コンデホテルのスタッフが運んでくれた味噌汁、おにぎり、ゆで卵、漬物で昼食。感激でいただく。
 4000m地点で登山道の整備をしている方たちがいます。この方たちのお陰と感謝せずにいられない。登るにつれ息が荒くなってくる。あと少し、もう少しと頑張り、目の前に水平道が見えてくる。牧草の丘を回りこむように平らな道が続き、見渡す限りにヒマラヤの 8000m級の山々。「ワァ〜、これが天空の回廊」というのだろうか。
 幾重にも広がる牧草地の中、赤い屋根のコンデホテルに到着。熱いおしぼりと熱いマンゴージュースのウエルカムドリンクにホッとする。世界最高所のホテル。これ以上のロケーションはあるだろうか。来れてよかった〜。ターメからコンデまで普通で5〜6時間らしいが、我々はビスターリ、ビスターリとランチタイムを入れて8時間半の行程、全員元気に歩き通す。先に到着していたドイツ人の5〜6人パーティはターメからヘリで数分で来たとか。翌朝またもヘリで帰って行きました。
 コンデには3日間滞在し目の前にあるパラックピーク、シェルパピークを登頂の予定。
 二日目私と友人、大塚さん、他1名が休養日と決め込みパラックピークを行く他の4人を見送り、ホテルの女性オーナーと楽しいおしゃべり。おつまみ、ビールまでいただきネパール出発前の川崎さん特訓が実り、「レッサン・フィーリ〜リ〜、レッサン・フィーリ〜リ〜」とスタッフも加わり、ネパールダンスで盛り上がり、至福の一日を過ごしました。
 三日目トレッキング中初めて朝から雲の多い空模様。シェルパピークを目指して500m程の日帰りトレッキング。どこでもOK、道なき道を登りピークへ。雲が多いとはいえ展望はさらにスケールを増す。下山はまたも「天空の回廊」経由となり気分はルンルン、鼻歌まじり。
ホテルの食事は昼食も含め3日間日本食。味付けも驚くほどおいしかったです。

 
タマセルク峰・山頂の残照と月照 エベレスト&ローツェ

コンデ〜パクディン
 8000mの峰々に囲まれて過ごしたトレッキングも終わりに近づきました。ひたすら下るのみです。だんだんとエベレスト、アマダブラム、タムセルクが姿を消していきます。片側が深く切れ落ちた危険箇所も無事通過し、背の高い木々の森へと入り1週間前通ったナムチェに向かう道に飛び出ると、もうそこは人々が行き交うにぎやかな街道です。そして見慣れたパクディンのホテルに到着しました。
パクディン〜ルクラ
 ゾッキョとポーターさん達(まだあどけない顔立ちの子供もいます)を感心と励ましの想いで見送り、途中最後のティータイムがビールタイムになり素晴らしかったトレッキングに乾杯!! ルクラのゲートをくぐりホテルへ。
 早い到着で土産物店など町の散策に出かける。細い路地の両側に土産物屋が軒を連ねている。ナムチェバザールでも同じだったが、こんなに店があって商売になるのだろうか?と心配してしまう。女性たちスターバックスでティータイム(なんとスタバがありました)。 男性軍曰く「もの凄〜く汚い焼き鳥屋で一杯」と出掛ける。
 夜、ガイド、ポーターさんを招待してのお別れ会&会食。
ルクラ〜カトマンズ
 素晴らしい青空とヒマラヤの山々と別れ、雑踏と埃のなかへ戻りました。飛行機の関係でカトマンズ(エベレストホテル)2日間滞在し市内観光。  早朝よりけたたましく鳴り止まぬクラクッション。人と車とバイクの大渋滞、マスク無しでは外には出られない埃。パシュパティナート寺院で河畔の火葬風景を目の当たりにしての衝撃。スワヤンブナート寺院での物乞いをする人たち。乳飲み子を抱えた人、幼い子供、年老いた人。やりきれない思いと悲しい衝撃。カルチャーショックが大きな火の玉となって私の心のなかに落ちてきたようでした。 ターメルの街で土産物屋の雑踏を歩いていると10年ほど前に夢中で読んだ、夢枕獏の 「神々の山嶺(いただき)」を思い出し、主人公が歩いたのはここかな?などと小説の世界と現実が入り混じる錯覚を度々感じてしまいます。エベレストの登山家の話でしたのでエベレストと対面した時も同じ錯覚が浮かんできました。
 最後に、ヒマラヤの峰々に会え、元気にトレッキングを踏破でき感無量の体験でした。

 


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